哲学者のハンナ・アーレント(Hannah Arendt)は、ドイツ系ユダヤ人でした。彼女はナチス政権がどのように権力を得たか、より具体的には、どのように多くの残虐行為を引き起こしたか、その理解に尽力しました。この前例のない「全体主義」が台頭した真の条件はドイツに特有のものではないと考え、その脅威に立ち向かう為の理論を構築しました。ジョセフ・レーシー(Joseph Lacey)がハンナ・アーレントの偉業について紹介します。
- How could so many people support Hitler? – Joseph Lacey(TEDEd)
- ハンナ・アーレントの代表作「全体主義の起源」(Wikipedia)
1961年4月11日、エルサレムでアドルフ・アイヒマンは、人道に対する罪で裁判にかけられました。アイヒマンはナチスの役人で移送を組織する任務を負っていました。150万人以上の欧州のユダヤ人がゲットーや強制収容所に送られました。証言台に立った気難しい男は、サディスティックな殺人者と言うよりも、むしろ退屈な官僚のようでした。アイヒマンの性格と行動の不一致は、多くの視聴者にとって不可解なものでした。しかし、哲学者ハンナ・アーレントが、この矛盾と不安を掻き立てる事実を紐解いています。
アーレント氏は人間の条件に関する理論を展開しました。それは人生を3つの側面に分けました。「労働」—私たちが物質的な欲求や欲望を満たすこと。「仕事」—世界の物理的および文化的インフラを構築すること。そして、「行動」—私たちの価値観を公に表明し、周囲の世界を集合的に形作るためにです。当時のドイツにおいても他の多くの工業化社会でも、この最後の側面「行動」の人生こそが攻撃を受けたと主張しています。
1951年に出版された著書「全体主義の起源」の中で、このような状況が全体主義体制にとって肥沃な土壌を提供していたと主張しています。恐怖と暴力を利用して個人の孤立を強め、そして、自由な思想を持つ政治主体として公に活動することが危険になります。このような孤独な状態では、政権に参加することが自身のアイデンティティとコミュニティの感覚を取り戻す唯一の方法になります。
アーレント氏は、アイヒマン自身が特別に邪悪であるという証拠は見いだせなかったとしています。彼女は、彼を勤勉な従順さを重んじる、ごく普通の男だとみなしていました。市民としての義務の最高形、まさにこの「平凡さ」こそが最も恐ろしいものだったのです。アーレント氏は、この現象を「悪の凡庸さ」と呼んでいます。
社会が私たちの「思考力」を抑制するときは、いつでも「悪の凡庸さ」「全体主義」などが出現する可能性があると警告しました。思考力抑制に対処するためには、自己反省的な内部対話の中で、私たちの信念や行動に疑問を投げかけることです。このような考え方こそが、道徳的問題に立ち向かう唯一の方法であると指摘します。
この思考力を育むためには、アーレント氏は、公式および非公式の議論、討論の場を作る必要があると主張しています。これらにはタウンホールミーティング、自治的な職場などが含まれます。アレントにとって最も重要なのは、どんな形であっても オープンな対話を重視することです。そして、批判的な「自己反省」の精神です。
- 映画「ハンナ・アーレント」(IMDb) Ratings: 7.1