フランス革命の混乱が続く中、天才的な軍事戦略で諸外国から国を守り、皇帝にまで上り詰めた英雄ナポレオン。最愛の妻ジョゼフィーヌとの奇妙な愛憎関係の中で、冷酷非道かつ怪物的カリスマ性をもって、ヨーロッパ大陸を勢力下に収めていきます・・・。巨匠リドリー・スコット監督と実力派俳優ホアキン・フェニックス、そしてヴァネッサ・カービーさんが共演する面白そうなスペクタル映画「ナポレオン」が公開中です。
- 映画「ナポレオン」(公式サイト)
- ナポレオンとジョゼフィーヌ、波乱で奇妙なロマンスの真相とは(12/1 ナショナル ジオグラフィック)
ナポレオンが軍隊で昇進を重ね、皇帝の座に上りつめるまでの14年間、彼のかたわらには妻のジョゼフィーヌ(6歳年上)がいました。ナポレオンが妻に書き送った多くの手紙から、二人の関係はロマンスの典型として長く支持され、たくさんの伝説が夫婦関係から生まれています。近年では、ふたりのロマンスの虚構をあばく歴史家もいますが、リドリー・スコット監督は、ジョゼフィーヌをナポレオンが「本当に愛した唯一の女性」と考えています。
1796年3月に二人は民事婚で結婚しました。ナポレオンは戦場から妻にたくさんの手紙を書き、1日に何通も出すこともあったそうです。そこには、ジョゼフィーヌへの熱い思いがつづられる一方で、あこがれ、熱情、所有欲、罵(ののし)り、非難の文言が入り乱れていました。歴史家のアダム・ザモイスキー(Adam Zamoyski)氏は、ナポレオンがイタリアから送った手紙を「ティーンエージャー並みの熱狂」と評しています。ジョゼフィーヌは夫からの手紙を「ばかげた内容で恥ずかしい」と感じていました。
1804年、皇帝と皇后として戴冠するのに必須の条件として、改めて宗教婚による結婚式が執り行われました。しかし、ジョゼフィーヌが得た安心感も長くは続かず、1809年に後継ぎが生まれなかったことを理由に二人は離婚します。ナポレオンは淡々と「フランスの最大の利益のためだ」と告げたそうです。離婚後も元妻ジョゼフィーヌが今までと同様に称号や住居を使えるようにし、支給金を得られるように取り計らっています。
1814年4月、エルバ島にナポレオンが追放されたという知らせを聞いて彼女は打ちのめされます。そのわずか数週間後にジョゼフィーヌはこの世を去っています。(死因は肺炎の可能性が高いようですが、精神的打撃が原因とする見方も多いそうです)。最後の言葉は「ボナパルト・・エルバ島・・ローマ王」だったと言われています。7年後、ナポレオンも幽閉先のセントヘレナ島で死去しました。ナポレオンが最後に残した言葉は「フランス・・陸軍・・ジョゼフィーヌ」だったという伝説もあります。元妻が残した言葉との類似は胸を刺すようです。
互いの不倫で二人の関係は揺らいだものの、自分にはない美点を相手に見いだし、互いに尊敬しあう関係を育んでいます。「ナポレオンはジョゼフィーヌの気品や知性に対する敬服を失うことがなく、彼女の判断をいつも信頼していました」と、歴史家のザモイスキー氏は述べています。
- 映画「ナポレオン」(IMDb) Ratings: 6.7
類まれなる「軍人ナポレオンの真の姿」を壮大なスケールで描いた映画「ナポレオン」を観る前に、下記の動画「世界一わかりやすいナポレオン」を観ておくといいように思いました(^^)
【ゼロからわかるナポレオン】ヨーロッパ全土を支配した天才の栄光と没落(世界見聞録)