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バイデン米大統領、先住民寄宿学校の歴史を巡り正式に謝罪。

10月25日、バイデン米大統領は、米国政府が1970年代まで150年以上にわたり先住民にとって虐待的なインディアン寄宿学校の運営に携わったことを正式に謝罪しました。この問題で謝罪した大統領はバイデン氏が初めてです。この寄宿学校は数百校に上り、内務省によると、本土、アラスカ、ハワイの先住民の子どもを家族、コミュニティー、言語、宗教、文化的信念から強制的に切り離し、文化的に同化させることを目的としていました。

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カーライル・インディアン工業学校(Carlisle Indian Industrial School)のインディアン生徒たち、1900年頃 / Wikipedia

ネイティブ・アメリカンとして初めて閣僚となったデブ・ハーランド内務長官は、寄宿学校政策の問題を把握するため調査を開始していました。調査報告書Investigative Reportによると、これらの学校で少なくとも973人の子どもが死亡しています。

ホワイトハウスは24日、連邦政府が運営していた寄宿学校制度について「厳しい軍国主義的・同化主義的手段によってネイティブ・アメリカンの文化、言語、アイデンティティを破壊することによる」同化を目的に設計されたと説明しました。

また、「この謝罪で大統領は国を愛する国民として、たとえ苦痛であっても歴史全体を記憶し、教えていかなければならないと認めました。また、この歴史から学び、二度と繰り返さないようにする必要がある」と述べました。

バイデン米大統領は金曜日、ネイティブ・アメリカンの居住地を訪れ、彼らの文化、歴史、言語を剥奪するために家族から引き離された何世代にもわたる子供たちへの虐待について、米国政府を代表して正式に謝罪しました。バイデン氏はアリゾナ州ヒラリバーインディアンコミュニティを訪問した際、これを「私たちの魂に対する罪」と非難し、ネイティブ・アメリカンの子供たちを強制的に連れ去り、寄宿学校に送り込み、虐待やネグレクトに遭わせ、場合によっては死に至らしめた連邦政府の以前の政策を補うためにさらなる努力をすると約束しました。

「連邦政府は今日まで、起きたことについて一度も正式に謝罪したことがなかった」と大統領は、政策の被害を受けた家族を含む歓声を上げる群衆に向かって語りました。「私はアメリカ合衆国大統領として、我々のしたことについて正式に謝罪する。ずっと前から謝罪すべきだった」と述べました。(下記は全文動画)

1879年11月1日、インディアン戦争に従事した将校、リチャード・ヘンリー・プラット(Richard Henry Pratt)中尉がペンシルベニア州に米国で最初の同化施設としての先住民寄宿舎学校カーライル・インディアン工業学校(Carlisle Indian Industrial School)を設立しました。

1892年、彼はデンバーでの演説で寄宿舎学校制度を「うちなるインディアンを殺し、その人間を救う」という言葉でもって説明しました。また、1885年、インディアン事務局の監督官を務めたハイラム・プライス(Hiram Price)は、「彼らと戦うより、彼らに教育を与えたほうがより安価ですむ」と、新たなインディアン政策としての同化政策と寄宿舎学校制度の効率性を主張しました。


カナダ先住民に対する同化政策を推進した寄宿学校制度


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