伊坂重孝(いさか しげたか, 1923年札幌生まれ)氏が、7月22日、急性呼吸不全により亡くなりました。満93歳でした。ご冥福をお祈りいたします。
元札幌テレビ放送(STV)社長の伊坂さんの「人となり」が良く分かるのは、1992年(古稀)の著書「クラス名簿がとどいて」のように思います。

この著書の中で「ある青春」と題して、「絵」を描く魅力に惹かれていく自身を素直に語っています。以下は引用です。
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学生時代は絵や彫刻を見るのが好きだったが、自分では描かなかった。描くとなると照れくさく億劫、始めてみると病みつきに・・・。
昭和24年に道展初入選、25年に人物2点が入選して、市長賞を受けた。望外の喜びだった。裸婦クロッキーの味を覚え、道展クラブには「裸の女の魅力にひかれて顔を出したのが本音・・・」と語っています。
裸婦の作品は何点かが売れた、裸婦の作品は意外に換金性があり、新たな注文がくることもあった。若い画家たちや会社の仲間たちとも良く飲んだ。ここに私の青春があった・・・。
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伊坂重孝氏の葬儀の祭壇には自身の作品が展示され、「病床においても絵筆を握っていた」と、施主の伊坂重春さんが語っていました。優れた経営者として、また北海道教育委員や、社団法人日本民間放送連盟副会長、北海道文化財保護協会副会長、財団法人アイヌ無形文化伝承保存会理事、札幌学院大学理事長など、多くの公職にも就かれていましたが、いつも根底にはクリエイター伊坂重孝がいたように思います。
伊坂さんは「新しいことに挑戦する」ことが大好きでした(^^) 1995年に社長室で、社内電話にモデムを繋いでインターネットのデモをしました。米国の「ホワイトハウス」とオーストラリアの「通販サイト」、そして当時のネットでしか見られない無修正版「Playboy」(日本販売のPlayboyは黒塗り有)の画面でネットの機能を説明しました。伊坂社長は北海道放送局で初のホームページ開設を即断しました。
また、CD-ROMとして制作した初めてのSTV社史は、未来志向でスタートレックのような宇宙的デザインだったのですが、伊坂さんから「画面をもう少し上品に・・・」 との感想があって悩みました(^^) クリエイター伊坂重孝が言う上品な色調、文字、キャラクターとは? 結果的にはクラシック調なデザインと色彩で統一ということになりました・・・(笑)
会社経営者や公人ではない、クリエイター伊坂重孝のアーティスト的な判断力や好奇心、批評、表現などが楽しかったと記憶に残っています(^^)

お昼に地下の社員食堂でお会いすることも多く、気取らない姿が忘れられません。いつも新しいことに対する好奇心に満ちていたように感じていました。天国でも青春時代と変わらぬ好奇心で、思い切り自由に野心的な「絵」を描いているように思います。
伊坂さんは、彫刻家イサム・ノグチの展覧会、出版やビデオ制作、またモエレ沼公園や札幌メディアパーク・スピカなどで、イサム・ノグチに情熱的に取り組んでいました。思い出も多いのですが、またの機会に・・。