フィリス・ホイートリー(Phillis Wheatley, 1753年頃 – 1784年12月)は米国の詩人で、アフリカ系米国人の女性として初めて詩集を出版した人物です。西アフリカ生まれで、7歳か8歳の時(1761年)に奴隷として売られ、米マサチューセッツ州ボストンのホイートリー家に買われ、一家から読み書きを習い、才能を見いだされて詩作をするようになります。チャリタ・ゲイニー(Charita Gainey)さんが、詩人フィリス・ウィートリーの作品について詳しく説明します。
この詩集「Poems on Various Subjects, Religious and Moral」が1773年9月1日に刊行されると名声を博し、フィリスは「地球上で最も有名なアフリカ人」になります。
理由は不明ですがスザンナとジョン・ウィートリーは、フィリス・ウィートリーと改名された少女に読み書きを教えました。10数年後、彼女は詩と宗教書に精通し自分の詩を書き始めるようになりました。1771年には高名な牧師ジョージ・ホワイトフィールド(George Whitefield)に捧げる哀歌が人々の心を捉えました。その詩の中で繰り返される劇的な宗教的旋律、高揚した魂の言霊が、ホワイトフィールドの説話がいかに魂を揺さぶり心を捉えたかを描き出しました。ウィートリーは屍を蘇らせる神の力を信じ安寧な死後の世界で締めくくりました。
米国でも英国でも読者は賛辞を惜しみませんでした。作品は作者が奴隷の黒人であることを記した上で出版されたので、読者は作品と同様にその作者にも魅了されました。当然批判も受けました。黒人は知的で創造的な作品を生み出す能力はないと、多くの米国白人は信じていたのです。トーマス・ジェファーソンは詩と呼ぶに値しないと記しました。また、他の有名な詩人の模倣だと片付ける人々もいました。
フィリス・ウィートリーは、米国独立の熱烈な支持者であり、彼女の「自由への愛」は幼少期に両親と切り離され、奴隷として連れ去られた体験から生まれたと書いています。英国帝国の支配を非難するとき、彼女は「鉄の鎖」のイメージをかき立てます。そして、自分に自由がないことを米国が独立できていないことと重ねます。ウィートリーは自分の境遇をさりげなく嘆きます。
1778年、自由黒人のジョン・ピーターズと結婚しました。2人の間には3人の子供がいたとされていますが、全員が幼少期に亡くなりました。最後の子供はフィリス・ウィートリー(31歳)とほぼ同時期に死んだと考えられています。2人は無名の墓に一緒に埋葬されました。
- フィリス・ウィートリーの世界の注目の集め方:チャリタ・ゲイニー(TED)
- Shigekazu Nakaya, Translator / Masaki Yanagishita, Reviewer(日本語字幕を読む)
おそらく「地球上で最も有名なアフリカ人である」とされるにもかかわらず、フィリス・ウィートリーの人生のストーリーは、歴史の荒波の中で失われました。他の数え切れないほどの奴隷と同様です。しかし、彼女の詩は今日も生きています。創造的な成長を祝し精神的な糧を提供します。
- Phillis Wheatley(archive.org)
- Phillis Wheatley(librivox.org)