ルートヴィヒ・グットマン(Ludwig Guttman, 1899年7月 – 1980年3月)氏は、ドイツ国(当時)出身のユダヤ系神経学者で「パラリンピックの父」と言われています。
医学を志したグットマンは、1924年にドイツのフライブルク大学で医学博士の学位を取得し、現ポーランド領のヴロツワフで神経学で高名なフェスター教授の下で働く機会を得ます。
1928年からは、ハンブルク大学に併設されたベッド数300の精神科クリニックで、神経外科医を勤めます。
グットマンは、1938年11月9日に起きた「水晶の夜事件」で、ドイツを離れなければならない日が迫っていることを悟ります。
ナチスの迫害から逃れるため、グットマンは妻子を連れてドイツを離れ、1939年3月14日にイギリスに到着。有能な神経医学者だったグットマンは、オックスフォードに研究を続ける場を与えられます。
グットマンは脊髄損傷患者の扱いとリハビリに関するレポートを作成、1943年9月に脊髄損傷患者のみを対象にした「国立脊髄損傷センター」の所長に任命されます。
第二次世界大戦で脊髄を損傷し、自分の足で歩くことができなくなった彼等は、医療関係者にも一般大衆にも「将来に目的も希望もない」「二度とふたたび社会に溶け込めない」存在であるとみなされていました。
脊髄を損傷した兵士たちは鎮静剤を投薬され、ギプスを当てられ、ベッドに寝かされたきりで、避けようのない死を待つだけだったのです。
グットマンは患者への鎮静剤投与をやめさせ、スポーツや手作業(木工、時計の修理、タイピングなど)を奨励することによって、患者の肉体面および精神面での健康を回復させました。
特にスポーツは、半身や四肢が麻痺した患者の体力やスピードやバランス感覚や持久力を向上させるだけでなく、自信喪失、自己憐憫などに沈みがちな患者の精神をも向上させるのに有効でした。
やがてグットマンは、身体にハンデを負った患者や元患者たちの競技大会を開催することを思いつきます。「The Best of Men」は、2012年にBBC2で放映されたドラマのタイトル、グットマンのセリフの一部です。
同僚の医師たちの中には、脊髄を損傷した元兵士のリハビリ、ましてやスポーツ大会などは時間と資金の無駄と思う者もいました。彼はグットマンに詰問します。
「オリンピックは、それぞれの国の最高(the best of nations)を引き出す競技大会だ。身体障害者がスポーツで競い合って、一体何が引き出せるというのだね?」。
それに対する、グットマンの返答は「引き出せるのは、人間の最高(the best of men)だ」。・・・カッコイイ(ハナママゴンさん)
ルートヴィヒ・グットマン氏の実話ドラマ「The Best of Men」を、「ハナママゴンの雑記帳」ブログでは豊富な写真とともに詳しい記事にしています。
- パラリンピックの父(8/29, 2012 ハナママゴンの雑記帳)素晴らしいブログ記事です。
- The Best of Men (2012)(IMDb) Rating 8.1
- International Paralympic Committee (IPC)(Website)ライブ配信
- Rio2016 Paralympic(Website)
- Rio 2016 パラリンピック(ライブ・見逃し・ハイライト動画など/NHK)
- Best of Men clip(YouTube) 人間の最高(The Best of Men) セリフ部分
- Professor Sir Ludwig Guttmann CBE FRS(Google Arts & Culture)