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ベンジャミン·ブロツキーの美しき日本(Beautiful Japan)

美しき日本(Beautiful Japan)とは、大正、昭和初期に、日本国が行った外客誘致と外貨獲得の為の対外キャンペーンタイトルでした。
1917-1918年(大正7年)、ロシア生まれで米国籍のユダヤ人、映画人ベンジャミン・ブロツキー(Benjamin Brodsky)氏は、大日本帝国政府の破格の支援のもとに日本全国を周り、日本紹介映画として美しき日本(Beautiful Japan)を撮影しました。

Benjamin Brodsky / 美しき日本(Beautiful Japan)
Benjamin Brodsky / 美しき日本(Beautiful Japan)

ブロツキー氏は、大日本帝国鉄道院が提供した特別列車で、北海道から九州までを縦断しながら416時間におよぶとも言われる撮影をしています。

しかし日本側と制作意図の相違や編集拒否から、この日本紹介映画は未完に終わり、不思議にも公式文書もなく記録も残っていないのです。

岡田正子さんの詳細な研究があります。以下からご覧ください。(サイトは閉鎖されています)

  • 謎の映画人ベンジャミン·ブロツキーと未完の大作、美しき日本(Beautiful Japan)の研究 by 岡田正子(東京シネマ新社)

133分に編集されたとする謎の多い映画「美しき日本(Beautiful Japan)」の中に、数分ですが北海道白老で撮られた「熊送り」の映像が映っています。

Beautiful Japan「熊送り」
Beautiful Japan「熊送り」

若い男たちによって住居の傍らにある木製の囲いの上部からコグマが引っ張り上げられ、村の長老エカシ等が並び座る前に連れ出されます。

エカシたちは儀式の酒を飲み交わし、女性たちの踊りに続いて男女の踊りが披露されます。

シーンが変わるごとに英語で書かれたタイトルが入り、アイヌ民族の来歴、儀式の意味等の説明が簡単に示されます。

これらの映像は、映画の撮影のために行われた模擬儀式であるようです。

明治維新以降、日本の文化や産業を、外国、特に欧米の国々に認知して欲しいとの願望は強かったはずです。

ブロツキー氏と日本側が長時間を掛けて交渉し、力を注いで製作した筈の完成作品が、真にスミソニアン協会「Human Studies Film Archives (HSFA)」で見つかった映像なのでしょうか?謎のままのようです。

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