「反ユダヤ主義」という言葉は、ユダヤ人やユダヤ教に対する敵意や迫害、偏見や嫌悪を意味します。ホロコーストは、1933年から1945年までナチスドイツとその協力者によって国家的に行われた欧州在住ユダヤ人の迫害と殺戮のことで、歴史上で最も極端な反ユダヤ主義の例となっています。イスラエルとハマスの戦争を巡って、「反ユダヤ主義」的なヘイトスピーチがSNS上に拡散、世界各国の政治や宗教、民族、人種などの分断と憎悪を深めようとしています。
- 反ユダヤ主義関連情報/ニュース(Google検索)
- X May Lose Up to $75 Million in Revenue as More Advertisers Pull Out(11/24 The New York Times)
- 反ユダヤ主義(Wikipedia)
Wikipedia日本語版の「反ユダヤ主義」には、歴史的概観に始まり、古代から中世へ、そして20世紀、現代までを戦争や大事件、宗教、権力、文学、芸術、思想的な背景など、多角的視点で記述されています。
反ユダヤ主義の歴史的発展については、ジェローム・チェーンズ(Jerome A. Chanes)による整理があり、1)民族的な性格の強かった古代のもの。 2)宗教的な理由によるキリスト教的なもの。 3)19世紀以降の人種的なもの。大きく3つのカテゴリに分けることができるとしています。
Wikipediaでは、反ユダヤ主義の歴史だけでなく、反ユダヤ主義が生まれた背景として、ユダヤ人をとりまく時代ごとの状況、各国各社会におけるユダヤ人の取り扱いのほか、ユダヤ側の反応などの歴史を述べいて、関連の知識や情報を含めると膨大なボリュームになります。
1840年に米国のユダヤ人口は15,000人ほどでしたが、ドイツのユダヤ人が大量に移住して、1880年には30万人となります。ジーンズの創始者リーヴァイ・ストラウスもドイツ系ユダヤ人移民です。ドイツ系ユダヤ人の半数は実業家で、20人中1人が知的職業につき、行商人は100人中1人でした。ユダヤ人はアイルランド人やイタリア人移民と比べると短期間に裕福になったため「成り上がり者」というイメージが現実味を帯びていきます。
- Antisemitic graffiti on Jewish shops(Holocaust Memorial Museum)
- Watch Rarely Seen Footage of Life in Nazi Austria, Thanks to a New Video Archive(11/9, 2015 smithsonianmag.com)
1938年3月13日にドイツによってオーストリアが併合(アンシュルス)されました。11月9日には反ユダヤ暴動「水晶の夜」がドイツ各地で発生し、数十箇所のシナゴーグが焼き打され、ユダヤ人商店数100軒が略奪破壊されています。
このような状況下で、1938年の夏に米国人医師ラファイエット P. モンソン(Dr. Lafayette P. Monson)博士によって、旅行記の一部として撮影された動画があります。オーストリアのウィーンの街中ですが、お粗末な「ダビデの星」や「ジュード」の落書きで汚された建物の画像が満載で、当時(併合前から)のオーストリアで醸成されつつある反ユダヤ主義の姿勢を明らかにしています。(音声なし)
ステレオタイプのユダヤ人の顔に、ドイツ語で “Judentum ist Verbrechertum, Stuermer Sondernummer” [“To be Jewish is to be criminal. Read the special edition of Der Stuermer.”]とあります。日本語では「ユダヤ人であることは犯罪者であること。ステューマーの特別版を読んで」。
1918年のシベリア出兵で日本軍は白軍経由で「シオン賢者の議定書」を知り、1920年代以降は陸海軍と外務省等が「ユダヤの陰謀」の研究を行っています。日本における反ユダヤ主義(Antisemitism in Japan)では、日本国内で起こったユダヤ人またはユダヤ教に対する迫害や偏見に基づく反ユダヤ主義、およびそれに関連する事象を取り上げています。