アップショット・ノットホール作戦(Operation Upshot-Knothole)は、1953年にネバダ核実験場で11回実施された核実験の作戦名です。1953年3月17日のアニー実験(Upshot-Knothole Annie)は、全米にテレビ中継されました。16キロトンの核爆弾(Mark 5 nuclear bomb)が地上90mで爆発しました。この生中継はキネコ(Kinescope)で録画されたため、実際の「原子爆弾の音」が聞ける貴重な記録となっています。広島・長崎に原爆が投下されて80年、核兵器廃絶を強く訴えます。
- 原子爆弾投下から80年(Google検索)
- 核実験の一覧(Wikipedia)米国の実戦使用も含む
- Upshot-Knothole Annie(en:Wikipedia)

アニー実験では、人類史上初めて実戦で使用された核兵器「広島型原爆(リトルボーイ)」とほぼ同等(TNT換算で16kt ± 2kt)の核爆弾が投下されています。長崎に投下されたファットマンの核出力は 21kt ± 2ktとされています。
アップショット・ノットホール作戦では、初めて核砲弾が使用されたグレイブル実験、及びカリフォルニア大学リバモア放射線研究所(後のローレンス・リバモア国立研究所)が初めて実施して失敗に終わった2つの水素化ウラン爆弾の実験(“ルース実験”と”レイ実験”)が有名です。
- Upshot–Knothole Grable(en:Wikipedia)グレイブル実験
- Uranium hydride bomb(en:Wikipedia)ルースとレイ実験
下記のフィルムには原爆の爆発音そのものが収録されています。音が観測者まで届くまでの距離が長いため、音は約30秒遅れて聞こえます。フィルム提供:国家核安全保障局/ネバダ現地事務所
1953年3月17日のアニー実験では、爆心地から3,500フィート(約1km)離れた場所に設置した家が完全に破壊されています。最初から最後のフレームまでの時間は2.3秒です。カメラは放射線から保護するため、2インチの鉛で完全に覆われていました。唯一の光源は爆弾からの光でした。フレーム1では家は閃(せん)光によって照らされ、フレーム2では放射エネルギーが家を燃え上がらせ、残りのフレームでは爆風によって家が急速に崩壊する様子が示されています。(下記の動画)
1953年のドアステップ作戦(Operation Doorstep)とは、当時の連邦民間防衛局(FCDA)がアニー実験と共同で実施した民間防衛調査です。16キロトンの核爆発が木造住宅2棟、マネキン、自動車50台、そして住宅用に設計された防空壕8棟に及ぼす爆風と熱の影響が評価されました。自動車には熱と放射線を測定する機器が取り付けられていました。米軍、テレビ局、そしてFCDA職員は、2マイル(約3.2Km)離れた塹壕から爆発を見守っていました。(下記動画を参照)
- Media in category “Operation Doorstep”(en:Wikipedia)
Operation Cue(オペレーション・キュー)とは、1955年5月5日にネバダ核実験場で行われた核実験のコードネームです。核爆弾の爆風が様々な種類の建物に与える影響を調査することを目的としていました。具体的には、住宅や電力施設などが爆風によってどのように破壊されるかを調べ、連邦民防管理局がこの実験を記録した短編映画を制作しています。下記は米国防総省民間防衛局による Operation Cue(1964年改訂版)です。