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チェルノブイリ原発事故の教訓を生かす

チェルノブイリ原子力発電所事故は、1986年4月26日にソビエト連邦(現:ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で起きた事故です。
事故後のソ連政府の対応の遅れも相まって被害が拡大・広範化し、史上最悪の原子力事故となってしまいました。

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2008年 Chernobyl / Fi Dot

チェルノブイリ原発事故でソ連政府(当時)に依頼されて現地で救命活動に従事した放射線被曝治療の専門家、ロバート・ゲイル博士は、福島原発事故後も日本を訪れ、事故対応について政府関係者らと意見交換をしています。

同氏の結論を最初に伝えれば、現状の放射線量は心配のないレベルであり、そのことを説得力をもって国民に説明できる人間が政府内にいないことが問題だといいます。

(聞き手/ジャーナリスト、瀧口範子)

―福島第一原発における作業員の作業環境や、日本政府の対応をどう評価しているか。
―放射性物質を含む大量の汚染水が海に放出されたことで、魚介類への影響も懸念されているが。
―福島第一原発の周辺地域および住民はこれからどうすればよいのか。
―住民が戻ったとして、長期的に見て健康に影響が出る可能性はないのか。
―土壌の放射能汚染についても、われわれは適切に理解していない可能性はあるか。
―チェルノブイリ事故直後の惨状を知る立場から、今回の状況をどう見ているか。

ゲイル博士は、「福島原発事故では、日本政府の説明下手という問題はあるが、放射能汚染リスクへの対処はきちんと行われていると私は考えている。」と述べています。

私たちは「チェルノブイリ原発事故の教訓」や、米国やフランスなどの原発事故支援を最大限に活かして、国際的にも速やかな情報公開と、事故災害を最小限とする責務を負っていると考えます。

YouTue: Chernobyl The Lost Film(6分30秒 音声なし)

事故直後の数日間、チェルノブイリを撮影したビデオ(Chernobyl. Khronika trudnykh nedel)があります。ソビエトの映画監督でカメラマンであったウラジミル・シェフチェンコ(Vladimir Shevchenko)氏が撮影しました。

ビデオに撮影された現場の作業員や救急隊は、致命的な量を遙かに超える放射線を浴びています。シェフチェンコ氏も事故のあった1986年の秋に亡くなっています。彼の名前は公式の犠牲者リストにはありませんが、歴史を刻む貴重な記録ビデオ(無音)を残しました。

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