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モナ・リザは、なぜこれほどまでに有名なのか(TED-Ed: Noah Charney)

製作から500年以上の歳月を経て、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」は、ほぼ間違いなく世界で最も有名な絵画作品です。多くの学者は、同作をルネサンス期の芸術作品の傑作とみなしていますが、歴史上には優れた絵画作品がたくさんあります。それでは、この作品の空前の名声はどのように高まっていったのでしょうか? ノア・チャーニー(Noah Charney)さんが、「モナ・リザ」が世界にセンセーションを巻き起こした要因を調査していきます。

モナリザの消えたサロン・カレ(Salon Carré)と「ビンセンツォ・ペルージャ」/ Wikipedia

1911年8月21日、パリの空が白みはじめたころビンセンツォ・ペルージャ(Vincenzo Peruggia)は、1枚の絵を壁から外しルーブル美術館の裏階段を滑るように降りていきました。この盗難事件は、世界中の新聞の大見出しを飾りました。人々はがらんと空白になった展示場所の壁を見に集まってきました。ルーブルで勤務歴があることから、警察はペルージャに質問をしましたが、嫌疑をかけることは一切ありませんでした。一方、かつてあった盗難事件との関連からパブロ・ピカソに尋問しましたがやがて解放しました。

ペルージャは上げ底のスーツケースに「モナ・リザ」を2年間保管した後、イタリアへ密輸してフィレンツェの美術商に売却する手配をしていました。巨匠の作品を本国へ戻そうとしたのです。愛国者と讃えられるかわりに、直ちに逮捕されてしまいました。事件が解決したあと、新聞各紙は勝利を祝うように記事を載せました。

その後の数十年、概念芸術家のマルセル・デュシャンがパロディーにしたり、ナチスの強盗に狙われたり、ナット・キング・コールの歌になったり、石、絵の具、酸やティーカップを用いて美術館の観客が損傷させる被害にも遭いました。製作から500年余りの年月を経て、眉毛やまつげ部分が色あせ「モナ・リザ」は、防弾・耐震仕様を施したケースに入れて保護されています。いまや「モナ・リザ」の立ち位置は、ルネサンス期肖像画の模範例というよりも、有名人がどのように誕生し、名声を保つのかの証という部分が大きいのです。

レオナルド・ダ・ヴィンチが、この肖像画の製作に取り掛かったのは1503年― フィレンツェの実業家が、その妻であるリザ・ゲラルディーニの肖像画の製作依頼をしたものと言われています。レオナルドは10年以上製作を続けましたが、その死に際しても絵はまだ未完成でした。

「世界でもっとも知られた、もっとも見られた、もっとも書かれた、もっとも歌われた、もっともパロディ作品が作られた美術作品」といわれています。

モナ・リザ / Wikipedia

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