モンゴル帝国の興亡とボラクチン皇妃の一日(TED-Ed: Anne F. Broadbridge)

歴史上最大の地続き領土を持つモンゴル帝国—東は朝鮮から西はウクライナまで、北はシベリアから南は中国南部まで広がるその国は、開けた平原に築かれました。12世紀の東アジアの大草原地帯には遊牧民が散在していましたが、1206年にテムジン(チンギス・カン)という革新的な指導者のもとに統一されます。アン・F・ブロードブリッジ(Anne F. Broadbridge)さんがモンゴル帝国の興亡について詳しく語ります。さらに、モンゴルのボラクチン皇妃の一日についても語っています。

The rise and fall of the Mongol Empire – Anne F. Broadbridge

遊牧民は互いによく戦い合っていましたが、モンゴルの有力な家系(イェスゲイ)に生まれたテムジンの登場でそれが変わります。テムジンは幼くして父を亡くし、貧しく育ちましたが、他のおさ達と戦略的な同盟を結んで、速やかに権力を掌握していきました。

チンギス・カンのもと、モンゴル人達は、先ず中国北部とイスラム世界の東部を征服しました。1227年にチンギス・カンが死ぬと、神に選ばれし者の地位はその家族「黄金の氏族」に引き継がれました。1230年代にチンギス・カンの子供達は、トルコや中央アジア、ルーシ諸国を征服し、1241年にはヨーロッパの2つの軍を破りました。1250年代にモンゴル帝国は、バグダッドまでのイスラム地域を掌握し、東では1279年までに領土を中国南部まで拡げました。

1260年代には、チンギス・カンの孫達の間で王位継承を巡って、全面的な内戦となり帝国は4つに分裂しています。モンゴル帝国は短い間しか存続しませんでしたが、今日まで並ぶもののない世界支配を成し遂げたのです。

1万の天幕(ユルト)からなる移動式の街に夜が明ける頃、ボラクチン皇妃は、王国の夏季の野営地への引っ越しに向けて準備を進めています。チンギス・ハーンの孫にあたる夫(バトゥ)が遠征して不在の間、彼女は家畜の群れ、家族、そして数千もの人の住む街の管理を一挙に任されるのです。そんなモンゴルの皇妃の一日を、アン・F・ブロードブリッジ(Anne F. Broadbridge)さんが説明します。

A day in the life of a Mongolian queen – Anne F. Broadbridge

彼女は、数千人もの人が住む街の管理人、兼引っ越し屋なのです。年に2度、ボラクチンの指揮のもと、街は季節ごとに2つの野営地を行き来します。こうすることで、夏には水と青々とした草が常に確保でき、冬には厳しい風から身を守ることができるのです。

今日は引っ越しの日です。彼女は、侍女たちや指導者、奴隷、家畜からなる大群を率い、夏を過ごすヴォルガ川の川上へ向かわねばなりません。ボラクチンが外に出ると、あたりは大騒ぎになっていました。先ほどの招かれざる客(羊)が、従僕たちの周りを駆け回っているのです。

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