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濱田 寛

ドキュメント「アイヌ兵と戦争」、日常の差別より戦時下に求める平等

日本政府の同化政策によって和人とともに、太平洋戦争の戦地に送られたアイヌの人たちがいます。戦場でアイヌ兵たちは、どんな思いで過ごし、何を経験したのでしょうか。国の政策に翻弄された、その思いを取材しています。北海道日高地方の平取町二風谷・・。日常茶飯事だった厳しい偏見と差別と比べ、極限状態にいる部隊での日々のほうが、むしろ居心地が良く、仲間意識も強くなったと濱田 寛さんは記していました。

濱田 寛
【アイヌ兵と戦争】偏見と差別の中で戦地へ「過去を振り向かせなきゃ駄目だよ…アイヌのためだけじゃない」極限下に求めた“平等”への思いとは… / HBC

濱田清孝さん(65)の父親・濱田 寛さんは、アイヌ兵として太平洋戦争を戦いました。いま寛さんは、二風谷の墓地で安らかに眠っています。寛さんは、農家の長男として二風谷で生まれ、牧場で馬の世話をしながら勉強に励みました。ところが、アイヌ民族であることを理由とした差別は、日常茶飯事だったといいます。

「学校で結構いい点数、100点だったかを取ったらしいんですよ。そうすると教官から『アイヌであるお前が100点取れるわけがない』と・・。いわれもない差別ですよね。とんでもない差別を受けた」 そして、太平洋戦争が始まった1941年(昭和16年)。国家総動員体制のもと、当時20歳だった寛さんも満州へ従軍しました。戦地に赴いた寛さんを待っていたのは、アイヌ民族に対する偏見と差別でした。上官が「うちの隊にはアイヌがいるらしい」と・・。『アイヌは出てこい!』『お前らは生肉食うのか』と言って・・吊るし上げですね。

アイヌの近現代思想史を研究する国立民族学博物館マーク・ウィンチェスター(Mark Winchester)助教授は「戦争に平等」を求めて、奮闘したアイヌ民族も多数いたのではないかと指摘します。

Mark Winchester
【アイヌ兵と戦争】偏見と差別の中で戦地へ「過去を振り向かせなきゃ駄目だよ…アイヌのためだけじゃない」極限下に求めた“平等”への思いとは… / HBC

ウィンチェスター氏は「北海道の植民地化によって被ってきた不利な部分を、自分たちが徴兵されることによって、やっと平等な日本国民、やっと平等な位置に立てると・・」と語ります。とはいえ、容姿をからかう見世物扱いや、狩猟のスキルがあることを理由に、銃弾が飛び交う戦場の最前線に送り込まれるような、不条理な配置もあったと話します。

当時、国は旧土人保護法により、アイヌの和人化を進める政策を打ち出していました。しかし、戦争が始まると、政府の姿勢は一転して、少数民族の活躍と囃し立て、アイヌ兵を英雄扱いするなど、都合よく戦意高揚に使ったと言います。

北海道の平取町で、遺骨の返還運動などにも取り組む、アイヌ民族の木村二三夫さん(76)。旭川市の部隊に入隊した父親の一夫(いちお)さんからは、差別についての話は、ほとんど聞いたことがないと話します。

木村 一夫
【アイヌ兵と戦争】偏見と差別の中で戦地へ「過去を振り向かせなきゃ駄目だよ…アイヌのためだけじゃない」極限下に求めた“平等”への思いとは… / HBC

「親父は、運動神経が抜群だったよ。だから銃剣術、あと相撲なんかも、軍の中でも強かったみたい。親父は、あまり俺たちには戦争の話をしなかったけれどもね」部隊の中では、本当の意味で「平等」だったのか?それとも気丈に振る舞い、息子に多くを語らなかったのか?いま、本当の思いを父親に尋ねることは叶いません。

かつて日本政府により、同化政策が進められたアイヌ民族。当時、徴兵されたアイヌの人たちが、どれほどいたのか。そして戦地で命を落としたのか、その正確な記録は残っていません。

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