急速に少子高齢化が進む日本で、4月19日「東池袋自動車暴走死傷事故」がありました。87歳の高齢男性が運転する乗用車が暴走して、31歳と3歳の母子の命を奪っています。未来ある人たちが犠牲になるのは言葉になりません。高齢運転者は認知機能のみが低下するのではなく、加齢に伴う様々な身体機能の低下によっても、交通事故を起こすリスクが高まることが指摘されています。
外国の高齢者に対する運転免許制度の概要と、最新の調査研究報告書です。早急に「実車による再試験制度」や時間限定、地域限定、車種限定(マニュアル車や自動ブレーキなど)などの「限定免許制度」も導入すべきです。
- 高齢者の特性等に応じたきめ細かな対策の強化に向けた運転免許制度の在り方等に関する調査研究 調査研究報告書(pdf:16.7MB / 警察庁)
- 外国の高齢者に対する運転免許制度の概要(pdf:119KB / 警察庁)
上図のように年齢層別に、75歳未満で3.4件、75歳以上で8.0件と、高齢運転者の事故率が高くなっています。特に、80~85歳未満で9.1件、85歳以上で15.1件となっています。また「操作不適」である割合は、第1当事者が75歳未満の者による死亡事故のうち16%(432件)であるのに対して、75歳以上の者による死亡事故のうち30%(136件)です。特に、ブレーキとアクセルの踏み間違いである割合は、75歳未満の者による死亡事故のうち1.1%(28件)であるのに対して、75歳以上の者による死亡事故のうち5.4%(25件)です。
「外国の高齢者に対する運転免許制度」には「定年制」はありません。ただし、「医師の診断を受ける義務」「実車による再試験制度」「各種の限定免許制度」「認知症の扱い」が規定されており、高齢者の特性等に応じた対策をしています。
高齢になるほど自信過剰に陥りやすいので、運転技能を数値化すべきです。「自主返納の決断」ができない高齢者は大勢います。同じ人的要因でも、人口の多い都会では悲惨な取り返しがつかない重大事故になってしまいます。制御が不十分な自動車は凶器です。
- 高齢者ドライバー関連(Google検索)
- 高齢ドライバー(クローズアップ現代 / NHK)
『なぜ高齢になっても自動車の運転は(他者に対して)危険ではないのか?スポーツは下手になるのに』
何度もお邪魔いたします。前2回で述べましたように、「高齢ドライバーが他者を死傷させる危険性は他の年代にくらべて特に高くはない、むしろ低いくらい、高齢運転手自身が死傷しやすいだけ」のようです。要介護リスク御研究の先生方もそう述べておられます。今回、なぜそうなのか?或いは、なぜ意外に思えるのか?について考えてみました。あくまで私の推測にて恐縮ではあります。
答えは、「人間にとって、運転(=A:歩行・移動系)はスポーツ(=B:狩り・闘争系)とは別系統の動作だから」ではないでしょうか?
石器時代あるいはそれ以前の頃から人間やあるいは多くの動物(特に哺乳類)はAによって木の実や食草を長時間かけて探索採集し、住処に間違いなく戻ってきたり、時には新天地を求めて移動したりしました。Aには特に高度な集中力は必要なく、高齢になっても極めて長時間ミス無く行うことができます。現代なら鼻歌歌いながらやスマホ操作しながら歩き回る人も多いのですが、滅多にミス(立木や溝や他人と。。)は起こりません。数年間毎日長時間歩き回っていても一切トラブル無しの人もいそうです。
一方、スポーツの多くはB:狩り・闘争系から派生した動作であり、高度の集中力が要求されます。壮年期の成人に比べて子供や老人の能力は段違いに劣り、また長時間ミス無く行うことは不可能です。達人ならキャッチボールやテニスの練習ラリー程度ならかなり快調に続ける事は可能ですが、それでも長時間やっていればかなりの頻度でミスが起こる筈です。おそらく高齢になれば酷くなるでしょう。
さて多くの人は車の運転をスポーツと同一視し、高齢になれば衰えるのが当然だと考えるようです。しかし、これは錯覚ではないかと思うのです。まず車はかなりのスピードが出ますし、馬力(運動量)も桁違いです。でもそれはエンジンに由来する機械の力に過ぎません。次に車の運転にはかなりの修練が必要です。教習所での訓練はあたかも、野球やテニスの練習段階のように思えます。しかし歩行だって実は工学上は極めて難易度の高い動作です。その練習段階が物心つく前だったから記憶に残っていないだけの話です。全ての人の脳内にはAの為の神経回路が強固に確立されています。教習所での運転練習はその末端部分のごく一部と言える、足を交互に出すとか体の向きを変える回路を、アクセル・ブレーキ・ハンドル操作の回路に対応させるだけの練習に思えます。回路の根幹部分は物心つくまえに既に出来上がっており、高齢になっても衰えないという性質を持っているようです。老人だからと言ってやたらに人や電柱にぶつかったりするでしょうか?歩いていても運転でも同じではないでしょうか?
なお、歩行でも特に急いでいる場合などはスポーツに近い場面になると思われます。物陰に向かってお構いなく走り込む、万一出会い頭に他人に衝突しそうになればとっさに避ける、これはB能力のように思います。しかしBの衰えた老人はそんな危険は犯さないのではないでしょうか?(むしろ望ましい事)これは無意識の本能のように思います、アンケートで意識的に「自信がある」と答えるかどうかとは別の話に思います。。。統計の裏付けが有る訳では無いです、スミマセン。
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私は決して闇雲に高齢者から運転を取り上げるな、と主張はしていません。以前から、高齢運転手自身は間違いなく危険なので要介護リスク等も考えた上で現実的であるなら運転を控えるのが望ましいと言っています。しかし「安全を守る」ためには高齢者以外にも目を向けるべきです。AはBに比べて、ミスのレベルは極めて低頻度という特徴があるのですが、それでも人間である以上ミスは起こります、年齢に関係なく。上の図2は、10万人当たり数人レベルで「全年齢」で死亡事故は起きている点を注視するべきです。例えば既に実用段階にある「対歩行者有効の自動ブレーキ」、普及を急ぐべきでしょう、もちろん【年齢に関係なく】。
コメントありがとうございます。自分自身を考えても、年々瞬発力や動体視力、体力や集中力も低下しています(^^)
医者や家族に危ないから運転を止められても過信から運転、幼い子どもや将来ある若い人の命を奪ったことが我慢できません。誤解を恐れずに言えば、高齢者を守るためではなく、「幼い命、未来の命」を守るのが主目的です。目的の達成のために自動ブレーキ、実車再試験、限定免許などの有効方策を実行すべきです。
少々気になったので即レスしますが「医者や家族に危ないから運転を止められても過信から運転、幼い子どもや将来ある若い人の命を奪った(過去形)」とは誰の事か不明ですが、他者を害する危険性に関しては全ての年代のドライバーが同等なのは統計上自明だと思います。(本当は若いドライバーが危険)てんかんなどでは医者が公安員会に届け出る例もかなりあるようですし、逆に言えば届け出ていないのなら止めた事にはならないかもしれませんね(必要なかったのかもしれませんが)。日本の自動車事故の死亡者は累計数十万人であり、「幼い子どもや将来ある若い人」の被害者数は不明ながら数万人以上でしょう。私は全てのドライバーにできれば運転を止めさせたいと思います。しかし米国や日本その他の世界経済などを考えると難しい面もありそうです。以前にくらべると安全性は向上しているようですが(例えばエアバッグ、子供が乗ってる場合も)、とにかく対歩行者有効の自動ブレーキはもっと普及させるべきですね。現行の(小規模物損)事故や(軽)違反や更新時その他での様々で多岐に渡る公的私的な手続きは若いドライバーをも含む運転不適格者を篩い落とすために一応機能しているとも思えるのですがより良いものへの改善は歓迎されます、高齢ドライバー向けのものも含めて。
レスありがとうございます。この投稿記事の87歳高齢男性の「東池袋自動車暴走死傷事故」です。NHKが「池袋 母子死亡事故 医師から運転控えるよう指示 | NHKニュース(archive.org)」として報道し、多く国民が反応しました。この事故以降、高齢者の免許自主返納が急増、また家族が高齢の親族を説得する難しさも話題になりました。
上の図2は一瞥すると(自身の死亡が多いとは言え)高齢運転手は危険に見えます。しかし、よくよく考えると「死亡事故はどの年齢層によっても起きている」ことをも示しています。
10万人あたり85歳以上は99985人、10代は99990人、40代では99997人は死亡事故を起こしていません。対歩行者限定で考えると、それぞれ99996、99991、99997くらいとなり、10代が最も危険ではあるでしょうがどの層でも数~10人程度が歩行者死亡事故を「同じように」起こしているようです。
「要介護になるリスク8倍!? 増える運転免許の自主返納 2018/3/13」
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO27760920W8A300C1EAC000
によると、実際にどの程度運転しているかや、「高齢者はドライバー自身が死傷する割合が高い一方、相手を死傷させるリスクは他の年代と同じくらいで高くないことも分かりました。」という理由(上記の通りですね、おそらくより詳細なデータ上の裏付けはあるかとは思うのですが)から、大学教授が「世間で思われているほど高齢ドライバーが危険なのではない」と話しているとの事です。
安易に自主返納を勧めるのは疑問であること、最近のAIによる支援が高齢者に適していることなどが述べられています。
「高齢者、運転やめたら…要介護リスク2倍 活動量減って 2019/09/05 朝日新聞」
https://digital.asahi.com/articles/ASM936VTLM93ULZU016.html
では「健康状態の違いが影響しないよう統計学的に調整」したためか「2倍」になっていますが、
いずれにせよ高齢者に安易に運転を辞めさせるのは要介護リスクが増したりその他の不都合が起きるリスクがあるとの事です。
コメントありがとうございます。9月16日は「敬老の日」。高齢者3588万人で最多更新 28.4%は世界で最高(NHK) 微妙な内容です。
いまの運転免許制度は画一的で自主返納しかないのです。自身の能力低下を客観的に判断する基準が必要です。早急に「実車による再試験制度」や時間限定、地域限定、車種限定(マニュアル車や自動ブレーキなど)などの「限定免許制度」も導入すべきで、なるべく自主返納しない運転免許制度にすべきです。
「運転を止めたら要介護リスクが高まる」のはその通りでしょう。自家用車の運転に頼らない移動手段、要介護や認知症にならない各種運動や、職業教育・学習制度の拡大、充実が望まれます。
興味深く拝見いたしました。上の図2は「死亡事故限定」の事故率でして、85歳以上等の高齢運転手は若い人なら助かるような怪我でも自身が死亡してしまうことが多いため死亡事故率が高くなるものと考えられます。警察庁の資料 https://www.npa.go.jp/toukei/koutuu48/H29siboubunnseki.pdf の図3-1-1の引用な訳ですが、図3-1-6を見ると、75歳以上では工作物衝突や路外逸脱などの「車両単独」(つまり死亡しているのは運転手本人か同乗者)が多く、75歳以下では横断中などの「人対車両」が多くなっています。高齢者の死亡事故では本人死亡が圧倒的に多く、若者の起こす死亡事故では歩行者死亡が多いことが強く示唆されます。人命尊重の立場からは、やはり高齢になればできるだけ運転を控えるのが望ましいと思われます。
歩行者等の第三者まで巻き込まれるような重大事故は、若い人が起こすことが多いようですが、しかし全年代で起きています。あらためて言うまでもなく自動車は元々非常に危険なものなのでしょう。事故というものは、一瞬の・一生に一度きりかもしれないような・本人にさえ信じられないような気の緩みで起こることが多いのではないかと思っています。いくら運動神経が優れていても人間である以上ミスをすることはあります。ただし、市街地・交差点・歩行者がいる、といった条件で徐行し十分注意するといった当然の安全意識でかなり避けられる筈です。この点で年長者やベテランドライバーには一日の長があるのでしょう。ただし気の緩みで路外逸脱し田んぼに落ちたりするのは年代に関わらず一定確率で起こり、その際の死亡率が高齢で高くなっているものと思います。(若ければ助かり高齢なら助からない。)
ダニング=クルーガー効果、興味深いですね。自身の身体能力に自信のある若い世代の運転手ほど無意識に歩行者を弱者とみなして優越感に酔う認知バイアスに陥りやすいということもありえるかもしれません。
コメントありがとうございます。世界の少子高齢化の先頭を行く日本、幼い子どもたちの命が失われることほど痛ましいことはありません。
交通事故のニュースのたびに自動運転車だったら、自動ブレーキ車だったらと思ってしまいます。
18歳で運転免許試験を受けるように、ある年齢に達したものは認知症試験だけでなく、高齢者運転免許実地試験を受験し合格した者だけが運転できる制度を早急に導入すべしと考える。
現在の制度はほぼ講習会であり、運転不適格者をはじき出す仕組みになっていない。実際に運転講習ではひどい技量のひとがいるが、こんな人でも免許更新ができ路上でハンドルを握るとは、おそろしいことだ。
高齢者にとって費用負担となるが、試験で不適格者をあぶりだす制度を施行しない限り、悲惨な高齢者による事故は無くならない。
ワカマツさんご意見ありがとうございます。
「試験で不適格者をあぶりだす制度を施行しない限り、悲惨な高齢者による事故は無くならない。」とのご意見、私も同感、賛成します。
「幼い子どもたち」「若い人たち」が高齢ドライバーの操作ミスの犠牲になるのは、どんな理由があろうとも耐えられません。