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ブザンソン美術館にあった蠣崎波響筆の夷酋列像(Ishu Retsuzo)

夷酋列像(いしゅうれつぞう: Ishu Retsuzo)は、江戸時代後期の松前藩の家老で画家の蠣崎波響(かきざき はきょう)が、北海道東部や国後島のアイヌの有力者(首長)をモチーフに描いた連作肖像画です。
寛政元年(1789年)5月、国後島とメナシのアイヌが和人商人の酷使に耐えかねて蜂起し、現地にいた70人余りの和人を殺害しました。この「クナシリ・メナシの戦い」を松前藩が鎮圧した際に、アイヌのうちもっとも功労があると認められた12人の肖像画を描いたものが「夷酋列像」です。

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夷酋列像 イコトイ(乙箇吐壹)アッケシ乙名 蠣崎波響筆 / Wikipedia

1984(昭和59)年10月に夷酋列像がフランスで11点発見されます。ブザンソン市立博物館(現ブザンソン美術考古博物館)が1930年以前に入手したもので、価値がわからないまま倉庫に埋もれていたとのことです。それをたまたま東洋美術専門の学芸員が発見、日本の専門家に鑑定を依頼して真筆という鑑定結果になりました。渡仏の経緯は謎のままのようです。

夷酋列像は、粉本・模写を含めると6種が存在しています。2015年9月に北海道博物館開館記念特別展「夷酋列像 蝦夷地イメージをめぐる人・物・世界」として、ブザンソン美術考古博物館が所蔵していた「蠣崎波響筆の本」と国内各地の諸本が、はじめて一堂に会しています。

江戸時代後期から明治時代にかけて、和人の画家がアイヌをモチーフにして描いた風俗画で、日本画や浮世絵の様式のひとつであるアイヌ絵(アイヌえ)も注目されています。
アイヌの伝統的な考えでは、写実的に描かれた物は魂を持ち、悪霊となって悪さをするとされていたため、アイヌ語に絵画を直接意味する言葉はないということです。

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夷酋列像 ツキノエ(貲吉諾謁)クナシリ惣乙名 蠣崎波響筆 / Wikipedia

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