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アンナ・ジャービス(Anna Jarvis)さんが願った母の日

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5月の第2日曜日「母の日」です。その起源は米国のアンナ・ジャービス(Anna Jarvis : 1864-1948)さんが、亡き母親を偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会をもち、白いカーネーションを贈ります。

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Anna Jarvis / Wikipedia

これが日本や米国での「母の日」の起源とされています。

アンナさんの母への想いに感動した人々は、1908年5月10日に教会で最初の「母の日」を祝います。

アンナさんは参加者全員に、母親が好きであった白いカーネーションを手渡します。

カーネーションの花言葉は「母の愛情」、また5月の誕生花でもあります。

ジャービスさんは、友人たちに「母の日」を作って国中で祝うことを提案、運動は全米に拡大します。1914年に「母の日」は米国の記念日になり、5月の第2日曜日と定められました。日本では1947年(昭和22年)に制定されています。

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Ann Jarvis / Wikipedia

アンナさんの母親アン・ジャービス(Ann Jarvis : 1832-1905)さんは、南北戦争中のウェストバージニア州で、衛生状態の悪いことが原因で、北軍と南軍の兵士の間に腸チフスやはしかといった病気が流行します。その時、敵味方問わず負傷兵の衛生状態を改善するために、地域の女性たちとともに活動(Mothers Day Work Clubs)をして、米国社会で注目されることになります。

アン・ジャービスさんは南北戦争後も、わだかまりを解くためにコンサートを開催したり、教会の学校で子供たちに勉強を教え続けたりしていました。1905年の5月9日に亡くなりますが、娘のアンナさんは母親のことを大変に敬愛していました。

「母の日」が米国の祝日になった後、ジャービスさんは「母の日」の商業化を激しく非難するようになり、一転して「母の日」を姉妹と共に廃止するための活動をし開始します。「母の日」誕生の立役者となった人物は反対運動に身を捧げ、ついには財産を使い果たし、衰弱して療養所で亡くなっています。

アンナ・ジャービスさんが、自分の母親を敬う気持ちだけは世の中に残しておきたいと願った「母の日」、商業化に捉われない「母への想い」を大切にしたいと思います。

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