JBpress誌「世界の中の日本」で、1991年生まれ(19歳)小田明志(Akashi Oda)さんの記事「アナーキー・イン・ザ・ニッポン、日本の大人たちへ」を興味深く読みました。
英国を例に改革は、政治家の「切る勇気」と、国民の「切られる危機感」の2つがあってはじめて実現するとして、大人たちの「覚悟の無さ」を訴えています。
世代論や世代格差は、どの国でもいつの時代にもあったように思いますが、近代民主主義の時代になった欧米先進国では、過去も現在も乗り越えて経済成長を果たしています。日本の「失われた20年」「復元力がない」という特異の状態は、日本独特の要因があるように思います。
中央集権(後進国)の高度成長時代では「官尊民卑」に近い政治・経済・教育・労働・金融政策と、料亭・宴会政治や密室政治でも機能しました。
しかし、イノベーションや創造力、独創性を求められる時代においては、硬直化した旧来の中央集権や上意下達の公共・産業政策では、個人の優れた能力や多彩な才能を活かせず、組織(企業)でも能力や才能の最適化が進まずに機能不全に陥っているように思います。
官民問わず徹底した情報公開と透明化の推進や、シリコンバレーやブロードウェイのようなコミュニティ思想(市民も一体)と、ディベートの重要性を再認識すべきと思います。
ディベート(debate)のない国会や組織、企業、教育、ネットなど、どう見ても時代錯誤だと思いますが・・・。
教育的ディベートの効用(Wikipedia)
・問題意識を持つようになる。
・自分の意見を持つようになる。
・情報を選択し、整理する能力が身に付く。
・論理的にものを考えるようになる。
・相手(他人)の立場に立って考えることができるようになる。
・幅の広いものの考え方、見方をするようになる。
・他者の発言を注意深く聞くようになる。
・話す能力が向上する。
・相手の発言にすばやく対応する能力が身に付く。
・主体的な行動力が身に付く。
・協調性を養うことができる。
19歳の小田明志(Akashi Oda)さんは、次世代のための平成維新を拒否した老後のあなた方を、支えるか、見捨てるかは私たちの世代が決めることだ。と結んでいます。
ここに書かれていることに100%同意します。ここに書かれていることが、我が家の今晩の食卓の話題になりました。経済学というのは抽象的な数字の羅列ではなく、国民の1人1人の創造性と自分で考える力の総額ではないかという結論に達したところです。
近代民主主義の時代になった欧米先進国では、過去も現在も乗り越えて経済成長を果たしています。日本の「失われた20年」「復元力がない」という特異の状態は、日本独特の要因があるように思います。
全く賛成です。またこれを考えて私のブログにもかいて見たいと思います。
では、また。勇気付ける言葉を書き続けてください。
励ましのコメントありがとうございます。
いちごさんの考えや意見をお聞かせ願えればと思います。