藤圭子さん、1951年7月5日生まれ(本名:宇多田純子、旧姓:阿部純子)。幼いころから浪曲歌手の父、三味線瞽女(ごぜ)の母の門付に同行し旅回りの生活を送り、自らも歌っています。岩手県一関市生まれ、北海道旭川市育ちの演歌歌手。『怨歌』と呼ばれるような夜の世界の、女の感情を歌った暗く陰鬱な歌を、伸びやかに深々と超越的に歌い上げました。(Wikipedia)
藤圭子さんは、2013年8月22日満62歳で亡くなりました。ご冥福をお祈りいたします。
- 藤圭子 自筆歌詞入り 圭子の夢は夜ひらく フルコーラス(1979年11月15日放送 intron)
北海道開拓の歴史140年。本州各地から蝦夷地(北海道)へ渡った人達は、「口べらし」「逃避行」「厳寒の未開地を開拓させる移民」「農業/酪農振興」など、それぞれの事情を抱え、アイヌ先住民族の利用と同質の区分を感じて来たように思います。
内地(本州)に残る村社会、先祖代々の本家・分家や土地区分、決められた職業・抑圧・身分などから、自由を求めて「あわい夢と希望」を抱きながら、未開の大陸(蝦夷地)に来た人も多いのではと思います。
相米慎二監督映画「光る女」の原作や、1976年小説「出刃」で知られる滝上町出身の作家「小檜山博」さんの講演で、米国は「移民の人達の血が混じる」ことで発展している。
北海道も「内地からきた人の血が混じる」ことで発展させられるのでは・・・。米国と北海道は似ている」との話が心に残っています。
また、歴史が浅い米国の「歴史・伝統・文化(英国・欧州)への憧れと劣等感」と、そして北海道の「内地への憧れと劣等感」は、同質の精神を感じます・・・。
宇多田ヒカルさんの活動休止宣言、グローバルな彼女の内なる成長と向上心を応援しています(^^)