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ジェーン・へイニング(Jane Haining)さんの決意

ジェーン・へイニング(Jane Haining, 1897年6月 – 1944年8月)さんは、英スコットランド出身の宣教師です。
1932年(35歳)に、ハンガリーに宣教師として赴任することを望み、首都ブダペストで運営されていたユダヤ人向けミッションスクールで女生徒たちの世話をすることになります。身寄りのない子どもが多かった6歳から16歳まで、315人の子どもたちの先生、寮母さんとして慕われ尊敬されていました。

Jane Haining / Yad Vashem
Jane Haining / Yad Vashem

欧州はナチス・ドイツの台頭で状況は悪化し、宣教師たちには1940年までに英国に戻るよう勧告が出されます。

へイニングさんは再三の帰国勧告にもユダヤ人女生徒たちを保護するとして、「子どもたちは日差しの降り注ぐ日にも私を必要としている。
暗闇の日々ならなおさらそうだ」と、ブダペストに残る強い決意を表明していたことが史料に記録されています。

1944年3月にはドイツがハンガリーを占領、1944年4月25日にナチスの秘密国家警察(ゲシュタポ)にスパイ容疑で逮捕されます。女生徒たちとともにアウシュビッツ強制収容所に送られて、1944年7月に病気(腸チフス/飢餓)のため死亡(47歳)したとされます。1944年7月15日付の友人宛の手紙には、最後に「天国に向かう途中で、ここから報告することはあまりありません」と記されていました。

先ごろ、生前の写真や遺書(1942年7月付)などを含む新たな史料が見つかり、英国へ帰国できたにもかかわらず女性徒たちと同じ運命をたどることを選んだ、ジェーン・へイニングさんの自己犠牲の精神に、改めて称賛の声が寄せられています。

1997年1月27日にヤド・ヴァシェム(Yad Vashem)から「諸国民の中の正義の人」の称号が贈られています。2010年に英国政府がホロコーストのヒーロー(British Hero of the Holocaust)を授与しています。

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